岡山大学大学院医歯薬学総合研究科脳神経機構学 大学院生 禅正 和真 先生
「小児神経学という学問(ジャングル)を、つきつめる(探検する)ために最適の環境」
2021年度の1年間を、医員として経験させていただいた感想です。もともと人間の発達プロセスに非常に興味があり、小児科のサブスペシャリティーは小児神経科と決めていました。小児科専門医研修3年目(卒後5年目)に研修の機会をいただきました。
この1年間で成長を実感できたことが3つあります。1つめは、病歴聴取およびカルテ記載です。自分としてはしっかり聴取できたつもりが、もっと上手に問診する言葉の選び方であったり、あるいはもっと正確な文章表現があったりしました。そのたびに、背景知識の整理を含めたご指導をいただき、小児神経学における病歴聴取とそのカルテ記載の大切さを教わりました。2つめは、脳波所見です。研修開始前は、このあたりに棘波や棘徐波があるかも、くらいしか所見が付けられませんでした。1年経つ頃には、ある程度型に沿った方法で記載できるようになりました。まだまだ浅学ですが、それでも親切なご指導でかなり成長できたと思います。3つめは、てんかんに限らず、幅広く小児神経に関わる症例を経験させていただいたことです。その経験を通して人間の発達について考える機会をいただけたのは、小児神経科という学問(ジャングル)における経験豊富な気鋭の先生方(ガイド)のお力に他なりません。
この体験記が、同じ学問を志す方のご参考になれば幸いです。この場をお借りして、岡山大学小児神経科の皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
兵庫県立尼崎総合医療センター小児科/小児脳神経内科 金 聖泰 先生
小児神経領域を専攻して4年目(医師9年目)の2018年4月から2年間、岡山大学病院小児神経科の医員として研修を行いました。それまで所属していた施設では、症例に数多く触れて、基礎的な知識を増やすことに時間を費やしていました。しかし、ある日ふと、いずれ小児神経科医として独り立ちする未来を考えると、絶対的に足りない能力がいくつかあると感じました。そのうちの一つが、脳波を正確に判読したうえで文字化し、非専門医を含む他の医療者に伝える能力でした。この能力を学びたいと思えば、論文や学会等での数々の業績、毎年夏に行われている脳波セミナーでの体験、伝え聞くスタッフの先生方のお人柄、などから、おのずと研修先は岡山大学病院の小児神経科に絞られていました。
諸先輩方の体験記にもあるように、岡山方式の脳波の指導はマンツーマンでの添削が基本となりますが、これが本当に力になりました。1時間程度の外来脳波だけでなく、担当入院患者の長時間脳波(長いと2週間分ぐらい)ですら、この方式で指導いただくことができます。このおかげで、もちろんまだ初学者の域はでませんが、自分の小児神経科医としての強みはと問われれば、脳波を判読できることと、答えられるだけの自信がつきました。また、私は兼ねてから興味もあり、希望して、1年目終盤からてんかん外科の硬膜下電極留置の症例を計4例担当し、頭蓋内脳波の解析や皮質刺激結果の解釈からカンファレンスにおける切除範囲の提案まで行うという貴重な経験もさせていただきました。その他には、中国・四国地方を中心とした広範囲から紹介をうけるため、一生に一度出会うかどうかといった稀少疾患や難治てんかんの入院主治医をつとめるという経験を通じても、多くを学ばせていただきました。
長いようで短かった2年間でしたが、学びたいことが学べた満足のいく時間でした。この体験記が、今後岡山大学小児神経科での研修を考えている先生方の参考に少しでもなればと思います。また、この場を借りて、指導いただいた先生方や、同じ病棟医の仲間、医局のスタッフの皆様に感謝申し上げます。
大阪医科大学小児科 森 篤志 先生
2016年4月(卒後7年目)から半年間と短い期間でしたが、岡山大学小児神経科で研修させて頂きました。小児神経の道を志したものの、脳波判読に対してはまったく自信がない状態でした。上司の勧めで勉強させてもらう機会を頂きました。
研修期間中は、脳波にどっぷりとつかる生活でした。自分にとって難しい脳波でもまずは自力で所見をつけ、指導医の先生より添削を受け、自分が出来ていないことを確認していくことを繰り返しました。この流れはいわゆる赤ペン先生の添削と同じであり、脳波判読を身に付けるにはとても最適な勉強法であったと思います。ただこの勉強法は医局の先生方が多くの時間を割いて教えてくださったからこそ可能であり、脳波の教書を一人で読んでも結局理解できずにいた私としては本当に有り難いことでした。医者人生でこんなに手取り足取り教えていただいたのは初めてでした。
また外来での研修、頭蓋内脳波の判読、PCRの実験、学会や勉強会での発表などいろいろなことを経験できました。勉強以外でも、卓球大会に出場するために仕事終わりに練習したり(初心者でしたがおもしろかったです)、ランチに行ったりとアットホームな職場でした。
小児におけるてんかんについて学ぶならば、お世辞ではなく岡山大学小児神経科は最適な場所だと思います。正直半年間ではまだまだ物足りず、研修を続けたかったです。小児神経科を目指している方、特に脳波についてしっかり勉強してみたいと思っている方は、岡山大学小児神経科での研修をぜひ考えてみてください。間違いありません。
最後に優しく、そして熱心に指導していただき医局の皆様に感謝の意を表します。本当にありがとうございました。
日本大学小児科 石井 和嘉子 先生
2011年6月からの約9ヶ月間、岡大小児神経科にお世話になりました。小児神経を志すことを決めたのが6年目、若いうちに資格をと、小児神経専門医を取得したものの、自分の進むべき道がわからず過ごしていました。所属する大学病院には小児神経の専門医は少なく、外来には発達の遅れやけいれんを主訴とした神経に関わる患者さんが多く来院するため、経験が無くても手探りで診療に当たらざるを得ず、そんな毎日に不安も感じていました。まとまった神経の勉強、特に脳波の判読をした経験がないまま、てんかん患者の診療に携わるのは患者さんにも申し訳がない思いでした。また病棟診療では急性期疾患を診る機会が多く、脳波も脳症なのかそうでないかの鑑別程度しかできませんでした。そんなとき上司から岡大への国内留学の話がありました。はじめは、慣れない環境に不安もありましたが、医局のアットホームな雰囲気にそんな不安は一日で吹き飛びました。研修内容が高度すぎて、はじめは焦りと驚きの連続でしたが、先生方の診療に対する真摯な向き合い方、夜を徹して情熱的に指導してくださる姿勢に感銘を受け、わたしもいつの間にかアフター5のほとんどの時間を医局で過ごすようになりました。脳波の判読には専属の指導医がついてくださり、手取り足取りの指導が受けられました。脳波判読以外にも、実際に脳波の電極を付けるところから機械の操作、受け持ち患者さんを通して頭部の画像の読み方やてんかん外科へのコンサルトのタイミング、術後管理を学ぶなど、多くの貴重な経験をさせていただきました。また、9ヶ月の間に5回の発表の機会をいただき、たくさんの学会・研究会に参加もできました。同じ小児神経という分野に興味を持ち集まっている同年代の先生方の知識量とモチベーションの高さに刺激を受け、夜な夜な皆で脳波をめくって過ごした時間は一生の思い出です。主人を東京に残しての単身赴任でしたが、貴重な経験ばかりをさせていただいた充実した9か月間でした。小児神経科医としてはまだまだ新米ですが、岡大で学んだ一つ一つを生かしてこれからも頑張りたいと思います。本当にお世話になりました。
倉敷中央病院小児科 西田 吉伸 先生
2005年(平成17年)10月から半年間、岡山大学小児神経科で研修を受ける機会を与えていただきました。私は、当時卒後10年以上たち、新生児医療が専門でした。神経疾患についての勉強を続けていましたが、まとまって研修する機会がそれまでありませんでした。勤務していた病院では救急外来やNICU、ICUといった集中治療室で脳波検査をする機会が非常に多く、その判読は治療方針を決定する上で重要でした。また、NICU退院後のフォローアップ診療をする中で、どういったお子さんをどの時点で小児神経専門のDr.や療育機関に紹介すれば、その後の発達によりよいかを知りたいと思っていました。半年間でしたが、神経学的所見のとり方や脳波の判読などさまざまなことを大塚教授はじめ医局の皆様から丁寧に教えていただき、小児神経科的なものの見方を学びました。また研究会での発表の機会が3回あり、知識を深めることができました。研修後は、倉敷中央病院で新生児医療、小児神経診療に携わりました。ここでの貴重な体験のおかげで、脳波判読など、その後の診療に多いに生かすことができました。同じ県内の病院勤務でしたので、その後も診療面では医局の先生方、関連病院の先生方に非常にお世話になりました。
日本大学小児科 今井 由生 先生
卒後6年目の平成20年4月から1年2か月間、岡山大学小児神経科で研修をさせていただきました。小児科の研修を終え専門として小児神経を学ぼうと決めながらも何から手をつけてよいかわからない状態でしたが、先輩の勧めもあり一年間国内留学という形でお世話になりました。
岡山大学の小児神経科は少人数でアットホームな医局であり、いつどんな時に質問をしても諸先生方がいつも丁寧に教えてくださいました。初めのうちは本当に知らないことばかりだったので、脳波の読み方や検査、診察方法などを教わり、毎日が「目から鱗」の状態でした。主治医制で毎日ゆっくりと患者さんと向き合えること、常に周囲に相談できる体制でありながら分からないことは一から調べられる環境が整っており自分のペースでじっくりと勉強できることがとてもよかったと思います。また、中国四国地方は神経・てんかんに関連する学会、研究会、勉強会が豊富であり、てんかん外科や神経内科など様々な分野のことを勉強する機会が非常に多くありました。私も何度か発表の機会があり、発表、論文作成の基礎を学ばせていただきました。1年2か月と短い期間でしたがてんかんの最先端の診療に触れながら小児神経の基礎を学ぶことができ、本当に良い経験ができたと思っています。
富山大学附属病院小児科 宮 一志 先生
2004年4月(卒後6年目)から1年間、岡山大学小児神経科で研修させていただきました。当時、小児神経学を志したばかりであり、ほとんど一般小児科の知識しかない状態で、上司のすすめで研修させていただくことになりました。最初の印象としては、あまりのレベルの高さに自分はやっていけるのかと非常に不安に思ったことを覚えています。しかし、当時の指導医の先生方、そして同じく研修をしていた先生方に丁寧に指導していただき、少しずつ神経学の基礎を学ぶことができました。特に脳波判読に関しては入院担当患者、外来患者の脳波を研修生が判読し、指導医に添削していただく形でしたが、1年間での脳波レポートが500を超えました。これは、医局の机に積み上げられた脳波を同僚の研修生とともに夜遅くまで判読していた思い出とともに、私にとっての大きな自信の源でもあります。一般の小児科での研修と違い、岡山大学小児神経科では小児神経に特化した研修ができ、指導する先生方がすべて小児神経のエキスパートという点が、非常に濃密な研修ができる背景と思います。それでも1年間では小児神経学の階段をほんの1段登れた程度ではありますが、岡山大学小児神経科で研修をさせていただいたことで、登るべき階段をしっかりと指導していただいたと思います。現在は富山の地で、指導していただいた知識、経験を生かして診療にあたりつつ、小児神経学の階段のはるかかなたにおられる岡山大学小児神経科の先生方に少しでも近づけるよう、頑張っています。
総合川崎臨港病院小児科 渡邊 嘉章 先生
医師になって4年目に1年半国内留学でお世話になりました。神経の基礎知識はほぼ皆無の状態でしたが、1からマンツーマンで神経学的所見の取り方から脳波電極のつけ方、所見のつけ方など丁寧に教えていただきました。脳波の判読はなかなか独学で習得することは困難ですが、小児神経科では外来脳波と病棟脳波はそれぞれ別の指導医の先生から指導を受けるため、いろいろな知識を得ることができました。一度東京に戻った後に再度小児神経科にお世話になりましたが、2回目はてんかん外科手術の症例も多く、さまざまな経験を得ることができました。てんかん専門医もとることができ、神経、特にてんかんの経験を得る最高の環境だと思います。
佐世保中央病院小児科 犬塚 幹 先生
私は2001年1月から2003年3月までの2年3ヵ月間を岡山大学小児神経科で研修させていただきました。当時在籍していた大分医大小児科では、難治てんかんや難しい神経疾患を受け持つことが多かったのですが、神経学に関しては系統だったきちんとした教育をうける機会がなく、自己流の診療で限界を感じていました。そこで、特にてんかんの分野では国内最高レベルの実績がある岡大小児神経を選び、一から研修することに決めました。初めて担当した患者でいきなり終夜脳波検査という手荒な洗礼(笑)をうけながら、身も心もどっぷりと小児神経に浸り研鑽できた、とても充実した2年間でした。みんなでコーヒーを飲みながら、菓子をつまみながら、励まし合いながら、毎日遅くまで医局で脳波判読に明け暮れた日々が懐かしく思い出されます。岡大小児神経でみっちり研修すれば、てんかん診療に関してはその辺の誰にも負けないだけの力がつきます。特に脳波判読については絶対的な(決して言い過ぎではありません)自信が持てるようになります。それだけの分量の脳波を読みますし、掘り下げた勉強もするわけです。私は2年間で6回の学会発表の機会をいただき、諸先生方のご指導を仰ぎながら原著論文1編と症例報告2編を完成することができました。短い期間ではありましたが、非常に濃厚で有意義な研修ができました。そして何より私が学んだのは、微塵の妥協も許さない、学問に取り組む厳しい姿勢でした。若い人には時代錯誤っぽく聞こえるかもしれませんが、これは初代大田原教授から教室に脈々と流れる精神でもあります。病歴のとりかたひとつ、所見のとりかたひとつ、徹底的に叩きなおされます。回診であいまいな考察を述べても相手にされません。しかし、こうやって鍛えられたことが間違いなく今の自分の基礎になっています。岡山の気候は穏やかで、自然が多く、人はやさしく、交通の便もすぐれています。学ぶ環境としても申し分ありません。小児神経を目指す一人でも多くの医師が岡大で研修されることを願っています。